「副業」という言葉が、こんなにも姿を変えるとは。世界のもうひとつの働き方を観測してみた

静かな星空の下、書を手にした若き観測者が宙を見つめて立つ。ローブに描かれた星図模様と、頬や指先を縁取る光が静謐な空気に溶け込む構図。 A quiet observer under the night stars, holding an open book. His celestial robe flows in the ambient haze as rim light gently outlines his cheek and fingertips.

働くこととは、ひとつの形だけではないはずなのに、
わたしたちはいつからか、「正社員か、そうでないか」で語るようになってしまった。

でも、世界を俯瞰してみると、
副業という言葉が、想像よりもずっと多くの姿で、生きていた。

アメリカでは、自由と自己表現のために。
中国では、スマートフォンひとつで暮らしを支える手段として。
インドでは、若さと柔軟さで「働く場所そのもの」を編み変えていた。

この記事では、
アメリカ・中国・インドという三つの国の「副業」を観測しながら、
日本のわたしたちが、気づいていなかったもうひとつの働き方に触れていきます。

問いは、こうです。

「副業」は余裕のためのものなのか? それとも、生きるための形なのか?

少しだけ視点を浮かせて、
世界の構造に目を向けてみましょう。

わたしは、それを「観測」と呼んでいます。

この記事を書いた人
メロ

メロ

・のら賢者メロ

・感覚と記憶を編む、“漂泊の知恵使い”

・Webメディア運営14年目

・未来志向

・トレンド追っかけ中

・マーケティングと大局観を鍛え中

・ニュースは雑食性

・情報に飢えています

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AI構文や生成モデルの変遷も、未来の観測点として静かに記録しています。

・世界中の大図書館を束ねたようなAIの進歩に日々触れ、検索・要約・比較を駆使して知を磨いています。

・AIで信頼性を見極めて、怪しいレビューは排除済み。希少だけど、未来は“選び方”から変わります。

・I am a Japanese creator.

なぜ今「海外の副業事情」に注目すべきか?

未来の形は、すでに他の場所で始まっている。
そんな感覚を持ったのは、副業という言葉を調べはじめた時でした。

かつて、日本では「副業」と聞くと、
こっそりやるもの、バレないようにするもの、あるいは限られた人だけの選択肢。
そんな空気があったように思います。

でも今、世界の流れは大きく変わりつつあります。

アメリカでは、収入の分散だけでなく、
「本業の外で自分の才能を試す」という選択肢が副業に広がっています。

中国では、スマホひとつで誰もが商人になれる時代。
ライブ配信や配送、副業アプリによって、
仕事を持たない人が仕事を作る人へと変化しています。

インドでは、若い世代がギグワークを本業として受け入れ、
制度もまたそれに追いつこうと整備されはじめました。

このように、
副業とは「余裕がある人のためのもの」ではなく、
むしろ「変化に対応するための柔軟な選択肢」として世界各地で機能しているのです。

そして何より、
それは「経済の変化」だけではなく、
「働くことの意味」や「生き方の構造」が問われている証でもあります。

副業の広がりは、単なる働き方の変化ではありません。
それは、社会構造の静かな再設計なのだと思います。

だからこそ、
わたしたちは今、「海外の副業事情」を観測する必要があるのです。
それは、これからの日本の構造を考える手がかりでもあるから。

アメリカの副業事情|「自由と柔軟性」が選択肢を広げる

アメリカという国は、
どこか「個で立つ」ことに重きを置く社会だと、わたしは感じています。

副業においてもそれは同じで、
アメリカではサイドハッスルという言葉そのものが、
「自分の力で収入を増やす」「自分の才能を別の形で活かす」ことを前提にしています。

ギグとクリエイティブのあいだで

Uber、Lyft、DoorDash。
街中で見かける配車や配達のサービスは、
いまや副業の代表的な入り口となりました。

けれど、それだけではありません。
オンラインでスキルを売るプラットフォーム(Fiverr、Upwork)では、
デザイン、翻訳、動画編集、文章制作など、
自分の得意を切り出して収益に変える人が年々増えています。

Airbnbのように、自宅を宿泊施設に変えることもあれば、
YouTubeやSubstackのように、自分の発信でコミュニティを持ち、
そこからマネタイズする動きも活発です。

副業とは、単なる働き足しではなく、
本業とは別の人格や才能を社会に置くことでもあるのです。

なぜこれほど副業が広がったのか

いくつかの理由が挙げられます。

まず、インフレと生活コストの上昇。
給与が上がらず、物価だけが上がる状況のなかで、
本業だけで生活が成り立たない人が増えているという現実があります。

そして、学歴社会が進む一方で、
「大卒」では足りないという価値観が、
就業競争をより厳しくしています。

さらに、働き方そのものが柔軟になった今、
リモートワークや短時間勤務の普及により、
副業に使えるスキマ時間が確保しやすくなりました。

人々は、その時間を「もう一つの自分」のために使い始めています。

副業は「当たり前」という文化

ある調査では、
アメリカでは働く人の約45%が副業をしているといいます。

週5〜10時間の副業は普通の範囲であり、
本業の職場もそれを黙認、あるいは応援する場合さえあります。

法的にも、連邦レベルで副業は禁止されておらず、
いくつかの州では「副業を禁止する企業」を法律で制限している例すらあります。

こうした柔軟な制度が、
副業を「個人の裁量」に委ねているのです。

自分を広げる副業

多くの日本人にとって、副業は「お金のため」という印象が強いかもしれません。

けれどアメリカでは、
「キャリアの幅を広げたい」「自分の強みを試したい」
そうした挑戦や選択肢のひとつとして副業が捉えられています。

それは自由であると同時に、責任を伴う姿勢でもあります。

だからこそ、副業の報酬が月250ドル程度でも、
多くの人がその「余白の時間」を、価値あるものとして受け止めているのです。

副業という行動のなかに、
もうひとつの自分を育てる視座がある。

アメリカの副業は、そうした「内なる可能性の開放」でもあると、わたしは観測しています。

中国の副業事情|「スマホが職場」の圧倒的スケール

中国では、働くことの場所や形そのものが、
すでに根本から変わっているように感じます。

スマートフォン一台。
それだけで仕事が始まり、完結する。
この国では、副業が生活の一部に、静かに溶け込んでいます。

数億人規模で動く「もうひとつの経済」

配車アプリ「滴滴出行」、フードデリバリー「美団」「饿了么」、
さらには淘宝(タオバオ)や京東(ジンドン)といったECサイトでの個人出品。

こうしたプラットフォーム上で働く人々は、
「ギグワーカー」と呼ばれ、今や2億人規模に及ぶとも言われています。

つまり、人口の約7人に1人。
それほどの人が、何らかの形で副業的な労働に関わっているということです。

ときには配達員として、
ときには商品の出品者として、
そしてときには──カメラの前で「配信者」として。

ライブコマースという異次元の副業

中国の副業文化で特に特徴的なのが「ライブコマース」です。

配信しながら商品を紹介し、その場で購入を促す。
日本で言えば、テレビ通販とTikTokを融合させたような形式。

しかも、これは企業ではなく、
個人、それも主婦や学生が、
自宅の一角から配信しているケースも多いのです。

スマホを立てて、ライトをつけて、
「こんばんは、今日は新作のリップを紹介しますね」

そう語りかけるその手には、
副業というよりも、商人としての自立が宿っています。

国家レベルで副業を認める流れ

かつて中国では、公務員や一部の企業で副業はタブーとされていました。
しかし近年、政府は方針を転換します。

特に、若年層の失業率上昇や都市部の雇用逼迫を背景に、
「フレキシブルワーク(柔軟就労)」を推進。
社会保険料の補助制度も整備され、副業は公認の選択肢となりつつあります。

つまり、中国では「副業を禁止するかどうか」ではなく、
「副業をどう制度化し、支援するか」へと軸が移っているのです。

副業が当たり前の文化

アメリカが「自由と挑戦の副業」だとすれば、
中国は「生活と直結した副業」と言えるかもしれません。

実際、多くの人が「配達」「販売」「配信」の副業を通じて
生活費の大部分を稼ぎ出しており、
本業と副業の境界線が曖昧です。

たとえば、
昼はオフィスワーカー、夜は配信者。
あるいは、農村から都市に出てきて、
配達員として月に数千元(日本円で数万円)を得る若者もいます。

スマホがあれば、仕事がある。
それが中国の副業観なのです。

驚きではなく当たり前として

日本から見ると、
「配信で収入?」「副業が2億人?」と驚くかもしれません。

けれど中国では、
それらは驚きではなく、すでに生活の一部。

テクノロジーが先に進み、
制度がそれを追いかけ、
人々がその間を駆け抜けている。

副業という言葉が、
この国では希望にも、生存にもなるのだと、わたしは観測しています。

インドの副業事情|「若さとスマホ」が生んだ成長市場

人が多い国には、それだけ多くの可能性も眠っています。
インドを観測するとき、わたしはその言葉を思い出します。

約14億人の人口。
そのうち、25歳未満が約半数という若さ。
そして…手の中には、スマートフォン。

この国の副業は、まさに「若さ」と「モバイル経済」が交差する場所に生まれています。

ギグ経済の中で育つ、もうひとつの働き方

ZomatoやSwiggyのようなフードデリバリー、
OlaやRapidoといった配車・バイクタクシー、
さらに家庭教師、プログラミング、デザイン、翻訳といった
オンラインプラットフォームでのフリーランスワーク。

これらはすべて、インドの副業者が選びとっている現実の仕事です。

ギグワーカー数はすでに770万人、
2030年には2000万人を超えるとも言われています。

これは、「副業を持つ」のではなく、
「ギグを主とした生活」が構造化されつつあるという兆しです。

政策が追いつくスピード

2020年、インド政府は「社会保障法」にギグワーカーという存在を正式に記載しました。

e-SHRAMという国家労働登録制度、
ギグワーカー向けの健康保険制度、
そしていくつかの州ではギグ労働者向けの福祉基金まで設立されています。

副業が非正規ではなく、
もうひとつの正式な労働のかたちとして認められていく。

これはアジアにおいても珍しい政策的速度であり、
国家と社会が「働き方の多様性」に対応しはじめた証です。

家の中が「職場」になる。インド的な副業

インドでは、都市だけでなく、
地方でもさまざまな副業が育まれています。

たとえば、家庭で作ったインド料理を弁当箱に詰め、
オフィスや学校に届ける「ティッフィンビジネス」。

主婦が自宅の台所で作った温かい食事が、
毎日決まった時間に届く。

これは副業であると同時に、
「他者の暮らしに寄り添う行為」でもあります。

また、農村部の若者が手工芸品や農産物をECで販売する事例も増えています。
物流と決済インフラが整ったことで、
どこに住んでいても副業ができるという前提が現実になりつつあるのです。

若さ × 副業=柔軟さの文化

日本では、「副業=何かを我慢してでもやる」という空気が残っています。
けれどインドでは、「副業=最初からキャリアの一部」として扱われることが多いのです。

若い人たちは、ひとつの企業に所属することよりも、
「どんなスキルを持ち、どこで収益化できるか」を主軸に働き方を設計しています。

これは、企業が人生の中心だった価値観から、
自分自身が経済単位であるという感覚への移行です。

自由で、軽やかで、スマート。
けれど、その裏には生活への真剣さと、未来への探求心が宿っています。

副業とは、「余った時間」の話ではない

日本では「空いた時間でちょっとだけ」「副収入を補う」という文脈で語られがちな副業。

でも、インドでは、
「副業」こそが本質的な生活の基盤になることもあるのです。

この国にとって副業は、若さの武器であり、
貧困や格差を超えるための柔軟な戦略でもあります。

そして何より、
それは構造の再設計として機能しはじめている。

インドの副業は、
「多様性」と「実用性」が最初から共存している、
そんな印象を、わたしは受け取っています。

日本との比較で見えてくる「働き方の違い」

比較とは、ただ優劣を語るものではなく、
違いのなかに潜む「前提」の違いを見つめる行為だと思っています。

副業という同じ言葉でも、
それが指す構造や重さ、そして当たり前のラインは、
国や文化によって大きく異なります。

ここでは、アメリカ・中国・インドと日本を、
いくつかの軸で並べて観測してみましょう。

副業の「前提」がちがう

比較項目アメリカ中国インド日本
副業の普及率約45%(生活補完+挑戦)約20〜25%(生活の一部)約1.5%→拡大中(生活基盤)約11%(制度解禁段階)
主な副業形態ギグ・スキル販売・Airbnb配達・ライブ配信・ECデリバリー・家庭教師・ティッフィンEC・ライター・アプリ運用
法制度の整備禁止されない/州ごと調整国家が奨励/保険補助あり社会保障法で制度化進行2018年に政府方針解禁
意識・文化自己裁量と挑戦の延長線家計・生存との密接な関係若さと柔軟性で本業に並ぶ副収入/兼業に慎重な空気
時間の投資傾向週5〜10時間が一般的空き時間フル活用/日常に融合日中通して複数稼働夜間・休日に限る傾向

日本の副業感覚は、まだ静かすぎる

制度としての副業は、2018年の政府方針によって一気に「解禁」されました。
けれど、企業の規則や、社会全体の空気は、まだそこまで変わっていないように見えます。

たとえば、
「副業してるって言いにくい」
「会社にバレたらどうしよう」
「成果が出るまで時間がかかりそうだから…」

こうした心理的なハードルが、
日本の副業を静かなものにしているのかもしれません。

その一方で、個人で行うECや、コンテンツ制作、
アフィリエイトやクラウドワークスなどの利用者数は、
確実に伸びつつあります。

静かに始める人は、増えてきている。
けれど、副業を文化として持つ社会には、まだ距離がある。
それが、今の日本の立ち位置だと感じます。

比較から浮かぶ、もうひとつの問い

副業とは、何のためにあるのか?
お金のため? 自己実現のため?
保険? 逃げ道? あるいは、希望の種?

国ごとに見えてきたその違いは、
個人という存在に社会がどれだけ余白を与えているか、ということの裏返しかもしれません。

アメリカは、自分で決める自由がある。
中国は、生き抜くために手段を選ばない柔軟性がある。
インドは、若さと社会変化を取り込む力がある。

では、日本には?

この問いの先にこそ、
「これからの副業」が宿るのだと、わたしは観測しています。

海外副業に学べる、日本のヒントとは?

「真似をする」のではなく、
「異なる前提に気づく」こと。
それが、わたしが比較という行為に込めたい意図です。

ここからは、日本がこれから副業を考えていくうえで、
アメリカ・中国・インドの姿から読み取れるヒントを、いくつかの視点で観測してみます。

1. 副業は「余白」ではなく、「もう一つの構造」

日本では、「空いた時間にやるもの」「本業の補助」という感覚がまだ根強く残っています。

けれど、アメリカのように「自分を広げる場」、
中国のように「生活を支える主軸」、
インドのように「最初からキャリア設計の一部」として副業をとらえる文化は、
副業とは構造そのものをもう一つ持つことであると教えてくれます。

副業を「補助」ではなく「もう一つの自分」として扱う。
それが、選択肢を豊かにする第一歩になるのかもしれません。

2. 「制度」と「文化」の両輪で進めること

どの国も、制度だけで副業が根づいたわけではありません。

アメリカには挑戦を歓迎する文化があり、
中国にはスピードと適応を優先する社会の空気があり、
インドには働き方を柔軟に受け止める若さがあります。

日本では「制度解禁」はされましたが、
文化として副業を語れる空気は、まだ育ちきっていません。

たとえば、
「副業をしていることを誰にも言えない」
「会社にバレないか不安」
「本業に支障が出ると評価が下がるかも」

そういった不安を手放せない理由は、
副業そのものではなく、副業に対するまなざしにあります。

制度だけでなく、「語れる空気」を整えること。
これは、社会全体のリズムを少しずつ変えていくような取り組みです。

3. 「スマホで始められること」はすでに多い

中国やインドの例を見ると、
副業は大がかりな準備を必要としません。

スマホで配信を始める、
アプリに登録して配達を始める、
ECで小さく商品を出してみる。

すでに、日本でもそれは可能です。

けれど、始めていいという感覚を持てる人は、まだ多くない。
必要なのは「許可」ではなく、「気づき」なのかもしれません。

4. 問いを持つことが、新しい副業の形になる

副業の形は千差万別ですが、
共通していたのは「自分の問い」が火種になっていたという点です。

・もっと自由に働ける方法はないか?
・収入に頼らない自分を育てられないか?
・何かを伝える手段として働けないか?

その問いの先に、副業が生まれていたのです。

だから日本でも、
「何をするか」ではなく、
「どんな問いを持っているか」から副業を始めてみてもいい。

それは、働き方の話でありながら、
生き方の中にひとつ火を灯す行為でもあると、わたしは思っています。

まとめ|これからの副業、日本はどう動くべきか?

副業とは、何かを足す行為ではなく、
別の構造を許すという、柔らかな選択なのかもしれません。

アメリカのように、
「自由の延長としての副業」。

中国のように、
「暮らしと融合した副業」。

インドのように、
「若さと柔軟さで編まれた副業」。

そのすべては、正解でもなければ、理想でもありません。
けれど確かに、自分らしさを社会の中で見つけようとする人々の姿がありました。

わたしたち日本人にとって、
副業はまだ控えめな領域かもしれません。

けれど今、構造の変化は静かに始まっています。
制度は整い、技術は揃い、あとは「問い」だけが、わたしたちの内側に残されている。

問いは、こうです。

「副業を許されたものとして扱い続けるのか」
それとも、
「副業を自分を編みなおす選択として育てていくのか」

変化は、外から訪れるものではありません。
小さな問いを持った誰かが、
自分の時間と構造に、そっと手を伸ばしたとき。

その瞬間から、働くという言葉のかたちは変わり始めるのだと、わたしは信じています。

関連記事