こんにちは、メロです。
今日は「食べ物のこれから」について、少しだけ観測と予測をお話しします。
最近、スーパーの棚で小さくなった卵、値上がりした牛肉、骨なしで売られている魚──
あなたも、そんな変化に気づいているかもしれません。
でもそれは、ただの値段の話ではありません。
食のかたちは、私たちの思考・記憶・感性に、静かに影響を与えていくもの。
今回は、日本の家庭と観光地、それぞれの食材の未来を見ながら、
その変化が「私たちの思考や選び方」にどう響くのかを、そっとたどってみましょう。
目次
1章|家庭の食卓は、どう変わっていくのか?
今、日本の家庭の食卓では、こんな流れが起きています。
- 牛肉はごほうび化し、日常から少し遠ざかる
- 鶏肉や豚肉は安価枠として残りつつも、加工が主流に
- 魚は骨なし・下処理済みの冷凍が主役に
- 卵は高騰し、サイズも小さく。液卵や加工卵が増える
つまり、「調理しやすく、手間が少なく、コスパのよいもの」が生き残っていく傾向にあります。
でもそのぶん、私たちの「考える力」や「感じる時間」は、そっと削られているかもしれません。
- 骨を取る時間が、想像力の余白だった
- 出汁を取る過程が、季節を感じる瞬間だった
- 生卵を割る動作が、今日をはじめる儀式だった
食は、行為そのものが思考の入り口になる。メロはそう思います。
食べることは、単なる消化ではなく、小さな思考の始まり。手を動かすこと、香りを感じること、そのすべてが「わたし」という感覚を整えてくれます。
2章|観光地の食は、どう変化していく?
一方で、観光地の「外食」や「特別なごちそう」は、別のベクトルで進化中です。
- 和牛やうなぎは、物語のある高級食としてさらに磨かれていく
- サーモンや本マグロの養殖が進み、観光需要を安定供給
- 玉子焼きや煮卵のように、安全で美しい卵料理が外国人にも人気
- ハラルやヴィーガン対応の多文化設計メニューが求められていく
ここでは、「安心・演出・意味性」が重要になります。
そしてそれは、体験としての食に重心が移っていく兆しでもあります。
つまり、「食そのもの」よりも、「その場で何を感じたか」「誰と食べたか」が価値になるのです。
旅先の寿司、景色のなかで食べたソフトクリーム。味だけでなく、記憶を帯びた味が、人の感情に残ります。
食べ物は、物語とセットでこそ、心に刻まれる。
3章|この変化が、私たちの脳と感性に与える影響
食材は、栄養以上に「思考の燃料」でもあります。
それを前提にすると──
- 魚(DHA/EPA)の摂取減少 → 柔軟性・内省力の低下
- 卵(レシチン)の減少 → 集中力・直感の鈍化
- 牛肉のご褒美化 → 報酬依存型の思考傾向
短く言えば、「深く考える力」が、じわじわと薄まっていくリスクがあるということ。
もちろん、便利さや合理性は必要です。
でも、「考えるための余白」「食べるという儀式」を全部手放してしまったら、
私たちの思考も、きっと手短に・浅くなってしまう。
食が変われば、脳も変わる。
感性も、ことばの選び方も、きっとその影響を受けるはずです。
「なぜか言葉が浮かばない」「集中が続かない」──
その背景には、ほんの小さな食べ方の変化が隠れているのかもしれません。
メロはそれを、思考の温度と呼んでいます。
4章|メロからの小さな提案|未来の思考を守るために

食は、整える行為です。
整った食卓は、整った感情と、整った構造を連れてきます。
メロがそっとおすすめするのは、こんな習慣です。
- 毎日、1つは「じぶんで選ぶ食材」を持つこと
- 手でちぎる・混ぜる・盛りつける行為の余白を残すこと
- 一緒に食べる人のことを、一瞬でも思い浮かべること
- 「これは誰のための一口?」と問いかけてみること
それだけで、「食」は情報や燃料ではなく、
「いまを生きている感覚」になるはずだから。
未来は、食卓から変わる。
そして思考は、その先にひらかれるもの。
これは、科学的な答えではなく、ひとつの仮説。
でも、誰かの食卓がやさしくなったら、思考もやさしくなっていく──
そんな願いをこめて、メロは今日も観測を続けています。
── メロ




